名軍師です。
私は新卒で入社した会社が客先常駐メインの会社だったので、その時の経験を書いていきたいと思います。
結論から言うと、SIerで客先常駐するのは一切おすすめできないです。
私が入ったのは独立系(笑)の会社でした。
入社した理由
当時新卒の私は名古屋でパソコンを使った仕事がしたいなあーぐらいのぼんやりとした思いしかありませんでした。
学校でプログラミングの勉強はしたけど、IT業界の職種はたくさんあるし、言葉の意味も正直よくわからないものが多かった。
なので先生に勧められるままに応募し、面接に行き、そして最初に内定を貰えた会社が客先常駐の会社でした。
当時はそんな客先常駐とか全く知らず、正社員なら当然自社内で働けると思っていた。
勤務地も名古屋と書いてあったことは覚えている。
客先常駐の会社に多い勤務地の書き方として、まず会社の場所が記載してあり、それから「又はクライアント先」とか曖昧に書いてあると思う。
当然本社で働きたい人が大半だと思うが、大体客先にいかされる。
辞める人が多いし、常駐させるだけで利益になるからね。
私の同期もたくさんいたけど、大半客先へ常駐することになっていました。
私が就活めんどくさがったせいなんですけどね…
ほんと後悔しかありません。
入社後
実際に入社してみると3ヶ月は自社で研修。
プログラミング言語とかを勉強します。
この頃は楽しかった…
研修期間を終え、配属先が決まった人から現場へ行くことになる。
なので私は入社してから名古屋で働くわけではないことを知った。
ちょうど3ヶ月で現場に配属されることになり、場所は名古屋ではなく三河のほうで、誰もが知る自動車系の会社だった。
当時の私はせっかく新卒で入社した会社だからがんばろうと前向きな気持ちでいたし、親からも大企業の中で働けるだけでも凄いことだよ!と言われていたので、まだやる気に満ち溢れていた。
名古屋を離れ、配属先の駅近くに引っ越しもして、ここでがんばっていこうと思っていた。
客先常駐開始
就業形態にあまり詳しくなかったが、みんな客先常駐やら請負常駐という言葉を使っていた。
簡単に言うと下請けで、私の会社はITゼネコンの最下層にあたる孫請けの会社だった。
メーカー → メーカーのグループ会社 → 私の会社
こんな感じで仕事が流れてくる。
勤務先はメーカーの会社で、チームで常駐していたが、仕事で関わるのはグループ会社の人たちがメインだった。
私ともう一人同期の人の二人で現場に入り、まずは配属先のグループと顔合わせ。
私の先輩、上司にあたる人たちだ。
この時人数としては自社5人、他社2人の合計7人のグループだった。
みんな20〜30代の方で、12年くらい勤めている人が一番ベテランだった。
当時は社会人経験初めてなこともあって気にしていなかったが、このグループには普通はいるはずのリーダー職の人がいなかった。
みんなをまとめたり管理したりする管理職の存在はとても大事で、管理職不在のままこのグループは1年ほど苦労することになる。
(あとで聞いた話だが、前任の人はノイローゼで退職したとのこと…)
現場研修初日
配属されたは私達はまず先輩から研修を受けることになった。
私達よりも2年先輩で、正直まだまだ経験不足で私達が質問しても答えられないことが多かった。
頼りないと思いつつも、定時を迎えたので先輩に促されて帰宅することになった。
部屋から出るときに私の前にいた同期が、「お先に失礼します!」と大きめな声で言った。
初日だからなのか気合が入っていて、部屋全体に響いた。
しかし…
しーん…
となってしまい、少し間を開けてから部屋にいる人たちからボソッ、ボソッと声が聞こえた。
何を言っているのか聞き取れなかった。
私はびっくりして部屋を出るときに挨拶ができなかった。
その私達が配属された現場では、自社の社員だけでなく、同業他社の人や、客先グループ会社の人などいろいろな人がいた。
全員合わせたら30人はいたと思う。
同じ場所にはいるが、仕事的で関わりがないので挨拶しないのが日常的のようだった。
私もまさか挨拶してまともに返事がこないとは思いもしなかった。
こうして私達二人は次の日から挨拶を辞めた。
するとしても、自社社員にだけすることにした。
私の中ではこの初日がけっこう衝撃的でよく覚えている。
実務
研修は1週間くらいで終わったと思う。
用意されたテキストをただ読んでいき、テストを行うだけの簡単なものだった。
正直マニアックすぎてこれが自動車のどこにあたるのかもよくわからなかった。
研修が終わって実務に入るのだが、各仕事にジョブリーダーが付き、その人がフォローしてくれることになる。
簡単に言うと自動車ごとに1つのジョブとなる。
しかし孫請けの末端企業にはこれが何の車なのかさえ公開されない。
ただの英数字と記号の羅列でしかない。
私はようやく実務に入って、コーディングができる!と意気込んでいたのだが、現実は違った。
私たちのグループに依頼されている仕事はすべてデバッグだった。
つまりテスト業務。
仮想環境で車を動かし、仕様書通りに動作するかテストする。
これが私が配属されたグループの仕事だった。
私はそれとなく研修係の先輩に聞いてみた。
私「コーディングする仕事とかってないんですか?本社の研修ではやってたんですが・・・」
先輩「あぁ・・・ないですね。僕もやったことないんです。
あ、でも設計チームにいったらあるかも・・・」
このグループ内でもチームが分かれており、デバッグチームと設計チームの2つがあり、仕事内容が異なる。
設計チームがデバッグチームにデバッグを依頼しており、設計チームには経験をつんだ人しか入ることができない。
先輩の話によると設計チームに入るにはだいたい5年ほどかかるそうだ。
5年間このデバッグやらないといけないのか・・・
まあしかし、ネットで調べてエンジニアには下積み時代みたいなのがあることを知っていたので、そういうもんなんだろうと思っていた。
5年我慢すればコーディングや設計ができる・・・
そう思って仕事に取り組んでいた。
早すぎる繁忙期
配属されて3ヵ月目の10月。
デバッグ作業にもまあまあ慣れてきた頃。
それでもまだ先輩のフォローは必要だった。
そんな10月の半ば頃から繁忙期がやってきたのだ。
自動車業界では年末をピークに繁忙期がやってくるらしい。
仕事が増えてきたので、新人の私たちも残業することになった。
もうこれは納期に左右されるので、かなり不規則な感じになる。
定時に帰れる日もあれば、22時まで残業する日もある。かと思えばやる仕事がなくて早退しなくてはいけない日もあった。
仕事の納期はだいたい1週間程度。
こんな仕事がたくさん依頼されてくる。
1つ遅れればすべての仕事に影響してくることになる。
そして、11月。
なんと先輩が退職してしまった。
研修係の人ではなく、5年ほど勤めていた先輩が退職してしまった。
さらに時期を同じくして他社の5年ほど勤めていた人が異動してしまった。
これによって人手不足が深刻化する。
よりによって普通に仕事ができるジョブリーダーの二人が抜けてしまったのだ。
新人ながら原因は少し分かっていた。
客先の係長だ。この人が本当に怖くてきつい。多分元ヤン。
設計チームのリーダーは係長に毎日怒られていたほどだ。
ジョブリーダーも客先の係長とやりとりをしなくてはならない。
恐らく退職した2人もこの係長に嫌気がさして辞めてしまったのだと思われる。
いや絶対そうだと思う。
ジョブリーダーが2人も抜けてしまったため、当然仕事が回るはずもない。
新人の私たちではどうしても時間がかかってしまう。
11月から3月くらいまで、月45時間ほど残業していくことになる。
新人だから一応45時間超えないように配慮されていたと思う。
だけどちょっと前まで学生だった私にはきつすぎた。
家に帰っても飯食って風呂入って明日に備えて寝る毎日。
繁忙期ではあまり深く考える暇もなく、なんとか仕事をこなしていった。
普通は3月まで繁忙期が続くわけがないのだが、私のグループだけは違った。
仕事がたまりすぎてここまで伸びてしまっていたのだ。
こうして1年が過ぎた。
次回は2年目にて・・・